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映画について
新進気鋭の映画作家が見澄ます、
時間の経過と、
言葉にしがたい感情の動き。
全国各地の反響を経て、
この2つの小さな映画が、
満を持して劇場公開
時間の経過と、
言葉にしがたい感情の動き。
全国各地の反響を経て、
この2つの小さな映画が、
満を持して劇場公開
1996年生まれの宮城県石巻市出身の映画作家・佐藤そのみは、幼少期から地元を舞台にした映画を撮りたいと志し、大学で映画を学んだ。2011年3月11日に起きた東日本大震災。そこから8年後の2019年に、石巻市大川地区で大学の友人や地元の知人らの協力を得て、『春をかさねて』『あなたの瞳に話せたら』という2つの中編を撮影した。
大学休学中の自主制作とその後の卒業制作として発表されたこれらの作品は、配給・公開の予定もないまま、コロナ禍をはさんだ2022年からぽつぽつと上映会を実施。それまで被災者の一人として取材を受ける立場だった佐藤だが、「描かれるよりも、描きたかった」と自分のために撮った映画が、やがて各地で反響を呼ぶこととなった。
監督自身の体験を落とし込み、フィクションとドキュメンタリーの手法で描いた“その後の私たち”。それぞれの場所であの日からの日常を生き続ける人たちに、あるいはその後に生まれた世代の人たちに、ぜひ劇場のスクリーンで見つめてもらいたい。
Trailer
予告編
coming soon
coming soon
Film
上映作品
監督
佐藤 そのみ
映像作家。1996年生まれ、宮城県石巻市出身。幼少期から物語を書くことに熱中し、小学生の時に地元で映画を作ることを志す。2011年の東日本大震災で、石巻市立大川小学校に通っていた2歳下の妹を亡くす。2015年、日本大学芸術学部映画学科に入学。休学中の2019年、地元でキャストを集め、『春をかさねて』を自主製作。復学後、卒業制作『あなたの瞳に話せたら』を製作した。卒業後、テレビ番組制作会社や映画配給会社に勤務する傍ら、2作品の自主上映活動を全国各地で行った。
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死者に向かっても生者に対しても、鎮魂でないカットはひとつもない映像だ。再構成であれ、ドキュメンタリーであれ。
あのとき大川小学校の子供たちに何があったかを、何度も語り直すこと、記録すること、伝えること。それがそこで生きる人の日々の営みなのだと頭を垂れる。
たとえ震災のような大変な経験がなくとも、
人が生きてゆくというそのことだけでも大変で、
そのなかで自分の感受性を正確につかむことは難しく、
その感受性が表現に結実していることに驚きました。
ただただ「花が花の本性をそのまま開花させる」という、
素朴であるのにもっとも難しい表現に触れたと感じました。
切り取られてきたものを、自らの手で「撮り戻す」。その覚悟があまりに強く押し寄せて、私はただ、見つめることしかできなかった。自分の無力さを知り、同い年の彼女のまなざしに心から敬意を抱いた。
進んでいく時間、止まったままの時間。震災によって重ならなくなった過去と現在を抱えながら、歳を重ね、大人になっていくあの時の子供たち。彼らには「もうみんな十分苦しんだ」と、そのための物語が必要だったと、誰か気付いていただろうか。
この町に生きたどの人の悲しみも、痛いほど分かるそのみさんは、どんな台詞を書くことにも苦しんだだろう。その分、映画の中で聞こえてくる声たちは、おだやかに、まっすぐに、あなたも私も幸せに生きていくことを肯定したいと訴えている。止まったままの時間との距離が開いていく未来を、恐れなくていいと教えてくれる。
大川小学校の校舎に差す夕暮れは、同じ光の中で過ごした人たちの記憶を映し出す。きっと、ずっとこの先も変わらないと思える光を、そのみさんは撮れる人だ。大川の記憶をそんな風に映画を観る私たちに分けてくれる。
映画も、人と同じように歳を重ねていく。『春をかさねて』と『あなたの瞳に話せたら』が、この先も長く観続けられる映画として、劇場公開されることを心から祝福しています。
この作品は、ひとつひとつの言葉がとぎすまされている。たっぷりとした時間と、ていねいな葛藤が、言葉をはりつめさせるのだろう。作品を受け取ったわたしたちにできることは、今も、これからも、もがきながら向きあうひとたちをひとりにしないことなのだろう。
他人に撮られてしまうことの違和感は、自分自身が撮ることで消えただろうか。
おそらくそうではないだろう。
しかし、違和感からけして目を背けず、違和感を抱きかかえながら撮り切ることで、
この真摯で勇敢な制作者は、確実に大きな一歩を踏み出し、
これまで誰もスクリーンで見たことのない光景を現出させた。
心打たれました。つい何度も涙がこぼれ落ちそうになりながら、それを押しとどめられるような凄みがありました(といっても2回目は、冒頭とタイトルとバスと合唱と他いろいろと、ぜんぜん我慢できませんでしたが)。
もし、今年公開される映画のうち一本しか10年後に持っていけないとしたら、『春をかさねて』を選びます。題材ゆえというよりも、映画としての具体的な探求ぶりに、その真剣な実践に、同じ時代の作り手として、一人の人間として、深く驚き、反省し、刺激を受けました。
ちぎれ、もつれ、散らばってしまった心はいつか元に戻せるのだろうか? 時がやがてそれを平らにしてくれるのかもしれないが、もっと大事なのはそれを他人と持ちあえるかどうかだと、この二つの映画に教えられた。